SexyZoneとファン、太陽と月
みなさまお久しぶりです。くうきです。
意気揚々と始めたブログでしたが、取り組むまでに時間がかかる典型的なO型の性格によって松島聡くんが復帰を発表した夏から季節は流れ、春がやってきました。
春といえばセクゾのツアー。こんな「当たり前」が定着したのはいつだったでしょうか。
春になったらツアーがあって、そのためにバイトしてお金をためてコンサートに行って、でも就職したら土日しかいけなくなるのかな?なんて「当たり前」を前提に日々を過ごしていました。
でも世界は変わった。言葉にしてしまうと軽く聞こえますが「当たり前」の大切さに気付かされることの連続ですよね。
その中で2021年の春、セクシーゾーンはツアーを行っています。
私は横浜公演に2回お邪魔させていただきまして、久しぶりにエンターテインメントに肌で触れることができました。どうしてもこの感動を忘れないうちに残しておきたい、という思いでブログを書いてみることにしました。
このブログではAnniversary Tour SZ10thから考えたことをつらつら述べるだけです。面白さはないですごめんなさい。それでは始めましょう。
どうしても硬い文になるのでしょうもない話題から入ります。
2年ぶりの生のコンサートで驚いたことが一つ。顔の良さです。
そんなの当たり前だろって思う人も多いと思いますが、純粋にびっくりしちゃうんです。
だってだって、いつもテレビでかっこいいな〜って見惚れている人が同じ空間にいます。双眼鏡を覗いたり近くのステージに来たりすると、リアルタイムで今どんな顔している、とかわかっちゃうんです。当たり前だけど。
ちなみに今回のコンサートでは、健人君の美しさや優雅さに見惚れ、勝利君の顔の整い具合に自然と手を合わせて拝み、風磨君の中顔面の短さに一種の嫉妬心をも抱き、聡君の久々に見る満点の笑顔に狂喜乱舞しました。
顔を見ただけでチケット代の元を取れます。これは比喩でもなんでもなく、事実です。
顔の良さについて書いてみたところで、彼らの存在について思うことについて書きましょう。
今回私は運よくセンターステージ近くのお席をご用意していただいたのですが、センターステージでの演出の際、ステージを照らすための照明で全く顔が見えなくなることが多々ありました。これまで散々顔の良さについて豪語しましたが、私はこのまま顔が見えなくてもいいな、と思ったんです。
たまにしか顔が見えないとしても、一生手が届かなくて眩しすぎて目が眩んでしまうようなキラキラした世界で生きていてほしい、と思いました。
私は、彼らと私たちの関係を太陽と月のように考えています。スポットライトを浴びながら踊ったり歌ったりすることで私たちファンの心を暖め人生の光となってくれます。太陽と月、相反する関係で交わることはない。そのくらいの関係であるからこそ美しいと私は考えるのです。
誰も責めない姿勢、についても少し語らせてください。
今回のコンサートでは、コロナ禍で勇気をもってコンサートに参加した人だけではなく、行かないという判断をした人も肯定し、4人であることを悲しむ気持ちも肯定してくれました。
”それでいいよ”という曲と同じような姿勢で彼らは私たちを認めてくれました。この姿勢は今回のコンサートの場に関わらず雑誌の発言やテレビでもみて取れるし、松島聡君を応援する身として、何度優しさに救われたのかわかりません。
彼らの姿勢を無駄にしないためにも、私たちも頑張らなくてはいけないと感じました。コンサートに行く決断をした人は健康管理を徹底しなければならないし、逆に彼らに今までの活動や行ってきた事は正しい、それでいいよと伝えるためにCDを買ったりYoutubeの再生回数を増やしたりしていくことも必要だと思いました。
コンサートに行って、どんなにマスクやシールドで息苦しくても、この2年で一番晴れ晴れとした気持ちになることができました。
叫べたらどんなに楽しいだろう、というないものねだりはこの辺にして今回のブログは終わります。ありがとうございました。